早春の芽吹き、花々の彩色 夏の木陰、頬に触れる風 秋の葉色、落ちる葉、残る葉 冬の樹姿、訪れる野の鳥、木の実色 人は生まれ、育ち、婚姻し、病み、老い、また育て、人を送り、自分も土に還ります。 季節が移り変わるように、人の暮らしも変わり続けます。 庭はそんな人と自然が癒やし合い、育み合う、何か美しい場所なのだと思います。
「庭」とは何でしょうか。 「日本庭園」という言葉を聞けば、枯山水や茶庭、灯籠などが連想されるように、日本では、「庭」は決まり事や約束が多く、難しいものであるように思われがちです。 ですが、庭とは何なのか、突きつめて考えていったときに思い当たるのは、とてもシンプルなことです。 日本の長い庭園の伝統の中では、様々な造形が「庭」として試みられてきました。土がなくとも、植物がなくとも、石と砂利だけでも空間は庭になります。もちろん、植物だけの庭もできますが、そうでなくても庭になります。 色々なことができるということは、つまり可能性がいくらでもあるということ。決まり事よりも、出来る事、可能性の方が大きいのが本当の庭なのではないでしょうか。 私たちが考える庭の条件は、とてもシンプルです。
そこに人がいて、空間があって、その空間で人が過ごす時間が存在すること。
ただ、これだけです。 まず、そこに人がいなければ庭ではありません。自然界の美しい名勝地を庭と言わないのは、そこが人間が存在しなくても成り立っているからです。 そして、空間。空間がなければ、さすがに庭は造れません。 忘れてはならないのは、人がその空間で過ごす時間です。空間を良く調和させ、居心地の良いものにすれば、時間はただ「流れる」のではなく、そこに暮らす人々の時間を奏(かな)で始めます。
人・空間・時間 が 奏でる ハーモニー
それが「時を奏でる庭」です。 よく自然風の庭作りと言われますが、私たちは庭は、自然を手本にしながらも、自然よりも美しいものでなければならないと思います。 私達は、庭作りや庭のメンテナンスを通して、「美しい音楽が聞こえてくるような場所=庭」を目指したいと考えています。
「時を奏でる」という言葉は、盆栽家・加藤文子さんの御本「時を奏でる盆栽」から、許可をいただいてお借りしました。 盆栽と言えば、銅線を巻き付けて形を作っていくものが一般的ですが、どうしてもその手法に馴染めなかったという加藤さんが作り上げる盆栽世界は、その植物が本来持っている生命力と特徴を引き出しながらも、加藤さん独自のセンスとオリジナリティに溢れています。 その作品世界を表すのにご自身がよく使われている「奏でる」という表現が、私たちの考える庭づくりにもぴったりくるものだったため、お願いして使わせていただきました。 大切にされているお言葉をお借りすることを快くおゆるし下さった加藤さんのご厚意に心より感謝致します。
加藤文子の時を奏でる盆栽 (NHK趣味の園芸ガーデニング21) 加藤 文子
庭園管理 植吉 代表者 鎌田吉一 福島県いわき市田人町黒田字唐沢14