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私が修行したのは東京近郊のお屋敷町で、江戸職人の気風がまだ残っているところだった。植木屋になって面食らい、また面白く思った職人独特のしきたりや慣習をいくつか挙げてみる。 ■ 一日でも仕事を早く始めた方が格上となる。年齢は関係ない。 だが、腕が悪ければ表向きには立てられても、実質的には敬遠され軽んじられる。この辺りは芸人の世界に似ている。 ■ 十時、昼、三時のお茶の準備はその場の一番下っ端がやる。 自分はこれが分からず、しばらく白い目で見られた。 ■ 歩くときは爪先で歩く。べたべた歩かない。しゃがむときは立て膝。腰掛けない。 職人は歩き方で分かると言われた。確かに身のこなしが軽いひとと重いひとがいる。疲れるとべた足になる。だからと言って爪先立ちで歩けるものじゃない。走 れということなんだ。何か指示されたら小走りで動け。しゃがむときは腰をおろすな。立て膝でいろ。立て膝なら咄嗟の動きがとりやすい。まるで忍者だ。 ■ 大工は棟梁、鳶は頭(カシラ)、植木屋その他は親方と呼ぶ。 最近は、社長や会長でも事足りるが、一応の区分を知っておかないと恥をかく。だいたい、大工や鳶の方が植木屋よりも格上のようだ。家を建てるときは地元の 大工や鳶に相談し、その手配で植木屋や左官屋、ペンキ屋、建具屋などが決まるからだ。だが、いまはほとんど大手の建築会社や住宅会社に地域の市場を牛耳ら れ、職人達は地域性を無視した規格品を設計通りに作らされている。職人たちは腕のふるいどころがなく、若いもんは勉強の場がなく、腕の磨きようがない。 ■ 給与は日給月給で月2回、ケガと弁当は自分持ち。 14日と30日が給料日で、職人達はこれを「みそか」とか「勘定」とか言う。この日は仕事上がりに親方の家に呼ばれ、一杯ご馳走になる。職人はそれぞれ腕 に応じた日当が決まっており、出勤した日数分の給料をもらう。昔はこの翌日が唯一の公休日で、職人達は色街へ繰り出し羽目を外したそうだ。 ■ 木に触るときは素手で、足袋は紺足袋、手甲も忘れずに。 「手入れ」は木の中に手を入れるから手入れと言う。直肌で感じなければ木は分からない。掃除の時以外は手袋を禁じられた。ピラカンサやバラやユズやザクロやボケやヒイラギ、痛くて痛くてたまらない。冬場はすぐに引っかき、血を出し、あかぎれ、しもやけた。 足袋は藍染めのコハゼが10枚の足裏のゴムが柔らかい木綿製の紺足袋。ゴムが柔らかくなければ木にのぼりにくい。黒足袋や12枚足袋は土方足袋、地下足袋と卑しんだ。 手甲は袖口を引き締めると同時に、手首の血管を守り、筋力を高める。また松のみどり摘みの時など、袖口で柔らかい小芽をそいでしまわない役目を果たす。そ していかにも職人らしく見えるので、「格好だけでも一人前になれ」と言われ、現場に忘れると「手甲してない奴に手間は払えねえ」と取りに帰された。 ■ 職人は道具の貸し借りをしない。 大工の世界では顕著で、特に刃物は職人それぞれの身にあった研ぎ方をするので、貸し借りをすると刃当りの感覚が狂ってしまう。道具は身体の一部で、スコップや箒でも、抛り投げたりすると親方に「痛ぇ!」とどやされた。道具が痛がるのだ。 以上、とりとめもなく挙げた。
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庭園管理 植吉 代表者 鎌田吉一 福島県いわき市田人町黒田字唐沢14 |